ブレンターノの判断論 Brandl, "Brentano's Theory of Judgement" #2

標記の SEP の記事を読む。前半も参照。

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ブレンターノの判断論 Brandl, "Brentano's Theory of Judgement" #1

標記の SEP の記事を読む。長いので二回に分ける。直接の目的は P. Simons, “Brentano’s Reform of Logic” を読む準備。

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ギリシア哲学における「実在」概念の不分明さ Kahn, "Why Existence Does Not Emerge as a Distinct Concept in Greek Philosophy"

  • Kahn, “Why Existence Does Not Emerge as a Distinct Concept in Greek Philosophy” in Archiv für Geschichte der Philosophie 58 (1976), 323-34 [repr. Kahn, Essays on Being (New York, Oxford University Press, 2009), ch.3].
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ギリシア哲学における「ある」の意味 Kahn, "Greek Verb 'To Be' and the Concept of Being"

  • Charles H. Kahn, “Greek Verb ‘To Be’ and the Concept of Being” in Foundations of Language 2 (1966), 245-65 [repr. Kahn, Essays on Being (New York, Oxford University Press, 2009), ch.1].

ギリシア語の be 動詞 εἶναι の真理用法(veridical use)*1に着目して、これをギリシア存在論パルメニデスプラトンアリストテレス)における「ある」(Being)の中心的な語義とし、J. S. ミル流の繋辞‐実在二分法(copula-existence dichotomy)にもとづくギリシア哲学批判を退ける論文。

この論考の諸々のテーゼはその後さまざまなかたちで補足・修正されている *2 が、「ある」の真理用法を第一に据えるという点は一貫している。

*1:とりあえずこう訳すが定訳は不明。

*2:Essays on Being の introduction および ch.5 が一連の探究を概観・総括している。

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久保元彦「神の現存在の存在論的証明に対するカントの批判について」

  • 久保元彦「神の現存在の存在論的証明に対するカントの批判について」同『カント研究』創文社、1987年、351-420頁。

カントによる存在論的証明批判の固有性はどこにあるのかを問う論文。以下のようなことが主張される。

  1. カントによる批判の眼目は、現存在はレアリテートではない、という点にある。
    • ヘーゲルのカント批判はこのことを取り逃している。
  2. ただし 1 のような批判はそれじたいカントの独創であるとは言えない。
  3. カントの独創は、存在論的証明の批判が、同時にあらゆる思弁神学の批判ともなる、ということを示した点にある。
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Resp. I 関連諸論文 #2

  • J. Annas, An Introduction to Plato’s Republic, Clarendon Press, 1981, pp.34-58.
  • G. B. Kerferd, “The Doctrine of Thrasymachus in Plato’s ›Republic‹” In Sophistik, C. J. Classen (ed.) Wissenschaftliche Buchgesellschaft, 1976, 545-563. [Reprint of ibid. Durham University Journal 40 (1947):19-27.]

レポート準備で読んだ文献の覚え書き。前回同様、特にトラシュマコス関連のもの。

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Resp. I 関連諸論文 #1

  • J. H. Quincey (1981) “Another Purpose for Plato, ‘Republic’ I” Hermes, 109(3), pp. 300-315.
  • Stephen A. White (1995) “Thrasymachus the Diplomat” Classical Philology, 90(4), pp.307-327.
  • J. R. S. Wilson (1995) “Thrasymachus and the Thumos: A Further Case of Prolepsis in Republic I” The Classical Quarterly, 45(1), pp.58-67.

『ポリテイア』篇第一巻(以下 Resp. I)を扱う論考をいくつか読む。#2 まである予定。

(追記:Wilson 論文まで扱っていると夜が明けてしまうことに気づいたのでこれは省略する。第四巻の魂の三分説において一見オミットされているかに見える理性と気概との葛藤は第一巻のトラシュマコスにおいて先取りされているのだ、というようなことが論じられていた。)

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