論証理論における換位可能な命題の役割 Inwood, "A Note on Commensurate Universals"

  • Brad Inwood (1979) "A Note on Commensurate Universals in the Posterior Analytics" Phronesis 24(3), 320-329.

共外延的命題と論証の説明力との繋がりを論じた論文。僅か10頁だが極めて内容が濃く難しい (明晰に書かれてはいると思うのだけど)。特に後半は汲み切れていない感じがする。

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論証は教育の手段である Barnes, "Aristotle's Theory of Demonstration"

  • Jonathan Barnes (1969) "Aristotle's Theory of Demonstration" Phronesis 14(2), 123-152.

(I) アリストテレスの論証理論と科学的実践の乖離について問題提起し,(II) 考えうるいくつかの解決策を斥け,(III) Barnes 自身の解決策を提示し,(IV) 関連する論点を補足する。

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アリストテレス的学知の構成要素 Hintikka, "On the Ingredients of Aristotelian Science"

  • Jaakko Hintikka (1972) "On the Ingredients of Aristotelian Science". Noûs 6, 55-69.

解釈枠組みをめぐる議論の構図を再確認するよう勧められたので,その手の論文をいくつかちゃんと読むことにする。

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『後書』の ἐπιστήμη は「理解」のことである Burnyeat, "Aristotle on Understanding Knowledge"

  • Burnyeat, Miles "Aristotle on Understanding Knowledge" in E. Berti (ed.), Aristotle on Science: The Posterior Analytics. Padua: Antenore. 97-139.

『後書』の ἐπιστήμη は knowledge より understanding を意味し,両者の違いを識別することがテクスト理解にとって決定的であることを論じる。大筋でかなり説得力がある。

なお know / knowledge を「知る / 知識」,understand / understanding を「理解する / 理解」と訳す。論点は概ね伝わると思うが,訳語の理論負荷性や前理論的なコノテーションには注意しなければならない (cf. 注7, 22)。

やや理路を捉えがたい箇所が若干ある: 98-9, 110-2 など。総じて文章が難しい。頭が働いていないのもあるとは思う。

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自体性 McKirahan, Principles and Proofs #7

  • McKirahan, Richard D. Principles and Proofs: Aristotle's Theory of Demostrative Science. Princeton: Princeton University Press. 80-102.

本章では主に以下の箇所が検討される: A4, 6. 話が段々ややこしくなってきた。

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今週読んだ本

『初期ギリシア科学』

「初期ギリシア科学 (early Greek science)」という標題のもとでアリストテレスまでを扱う。訳は平明で読みやすい。未読だが Greek Science after Aristotle (1973) という著作がおそらく続編に当たるのだろう (これにも邦訳がある)。

第1-4章は初期ギリシア哲学の自然学的側面を扱い,第5章ではヒポクラテス文書を扱う。第5章以降は4世紀アテナイプラトンアリストテレスを中心としたサークルにおけるギリシア科学の発展が論じられる。

ロイドは「ギリシア科学」という呼称を φιλοσοφία, περὶ φύσεως ἱστορία 等々を指す「ただたんに速記法的な表現」(xiii) と述べ,また「実際のところ,初期ギリシア科学の研究は,提唱された諸理論の内容の研究であるのと同じだけ,探究の本質に関しての諸見解の発展と相互影響の研究でもある」(xiv) と注意する。「ギリシア哲学」に置き換えても事情は同じだろうが,ともあれ,本書の風通しのよい論述は,この点に細心の注意を払い,明確化の労を惜しまないことによって可能になっているように思う。

『言葉の魂の哲学』

中島敦ホフマンスタールの (いわばペシミスティックな)「言語不信」と対置するしかたで (第1章),ウィトゲンシュタインアスペクト論を補助線として (第2章),カール・クラウスの (オプティミスティックな) 言語論を肯定的に紹介している (第3章)。

本書で点描されるクラウスの常套句批判はなまじ強く共感できるだけに*1批判的評価が難しい。しかしウィトゲンシュタインとの連絡がつけられているのを読んで幾ばくか手がかりが得られたと思う。文化史に無知なこともあってクラウス自身のものは読んだことがなかったが,『言葉』は読んでもよいと思った。政治 (思想) との関連については『カール・クラウスと危機のオーストリア』も読んだほうがよいだろう。

*1:他方で哲学的文章を読み書きするときに自ら用い・顧慮するのは明らかにクラウスの言う言葉の Mitteilung の側面であり,ここに二重基準があることは認めるべきかもしれない。